(しばらく日本語の投稿をせず日本の建築などに焦点を当て甲斐があり、昨日は1日に8000以上のアクセスがありました。日本の現代建築に対する海外の関心の高さをあらためて感じさせられます。)

日本は香水後進国だということを時々耳にする。確かにそうだと思う。しかしながら、香水に限っては、「先進国」だから良いということも無いだろうとも思う。

最近感じているのは、香水の市場としては非常に大きいアメリカにおいても、総人口の中で香水を愛用している層というのは割合と小さいのではないかということだ。

ごく一般的なフランス人の香水との接し方を見ていると、実に自然に生活や社会の中に香水が存在していると感じるのだが、一般的なアメリカ人を見ているとむしろ日本のように香水など全く生活の中に存在していない人々の数の方がはるかに多いような気がする。

恰もそれを補うかのように、アメリカにおけるデオドラント製品の消費量は日本人には想像のつかないものがある。そのような国であるが故、香水の好みも清潔感のある香り一辺倒になってくるのだろう。デオドラントとコロンの違いを知らない人も多いようだ。

アメリカでは若い消費者層を中心に、今後もデオドラント系統の商品の消費量は拡大していきそうだが、香水の消費量は横這いか減少の方に向かっていくのではないだろうか。長い間日本の市場の未開拓な部分に将来性があるのではないかと期待していたのだが、香水の本場フランスにおいてもデパートなどでの香水の売り上げが前年に比べ10%も落ち込んだという話を聞くと、ロシア、中国、インドなどの力を持った途上の国以外では「香水離れ」が進んでいくのではないかと思えてくる。

香水市場の展望というのは、未だにフランス人の目から見たものをもとに語られ傾向があるが、業界をつぶさに見てきた日本人目には、収益は大きいがそもそも享受層が限定された文化であり衰退は避けられないものに見えて仕方がない。香水というのは、ファッッションの世界におけるオートクチュールと似た運命を辿るのではないだろうか。

調香師を志している若い人達の励みにならないような事を申し上げてしまったが、ここで述べたことが、匂いというものに対する人々の関心が薄れてきているという事に繋がるわけではないと思う。むしろこれからは、匂いというものにいかに接していくかということを模索していく時代なのではないだろうか。そういう意味で今後の調香師というもの在り方が問われていくことになるのだと思う。

Written by:

A sculptor living in New York

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