Scent - Page 4

世界レベルの調香師

最近香水関連の話を久しぶりに投稿した際、ある方から頂いたコメントの一部にこのような質問があった。

『日本にいる調香師が、世界的に知られている調香師に負けず劣らずの香水がつくれるのだろうか。』

答えは、Yes and No。一言では答えられない厄介な質問だが、私の答えとしては以下のようなことになる。

現在の香水の良し悪しの基準というのは、欧米のマーケットを中心にできあがっている。有名ブランドの香水の大半が、ニューヨークとパリにいる三大香料会社の調香師達によってつくられているという事実があるからだ。いくつもの香水ブランドを保有しているエスティローダーが、所有している或るブランドの香水をつくる場合を例にとってみると、エスティローダー社の香水開発チームは、ジボダン、フィルメニッヒ、IFF三社のいづれかに香りの依頼をする「しきたり」になっている。世界第4位のシムライズとその後に続く高砂香料にエスティローダーの香水開発プロジェクトがまわってくるという可能性は皆無に等しい。世界最大の化粧品企業のロレアルの場合は、シムライズにも新製品開発と製造の依頼をする場合があるが、他の三社に比べ有名調香師の数が少ないシムライズにお鉢がまわってくる機会は当然限られてくる。優秀な調香師達が、ジボダン、フィルメニッヒ、IFFにのみ就職を希望する背景のひとつにはこういう理由があるわけだ。非常に閉鎖的なシステムの中から有名な香水ブランドの新作が生まれてくることを理解いただけたと思う。優れた香水の基準というのはこのような状況の中で確立されているので、蚊帳の外にいるものがいくら努力しても暖簾に腕押しということになるのも当然だ。残念だが、先の質問に対しては「No」としか言いようがない…

しかし、アメリカに長く住んでいるからだろうか、逆境を想像すると “anything is possible” という気持ちが湧いてくる。日本の『xx香料』に類い稀な嗅覚力を持ち、香料に対するセンスが抜群の調香師がいたとしよう。日本にいるので仕事で香水をつくる機会は無いが、ローションからシャンプーの香りにいたるまで何でも一生懸命の仕事をこなしている。この日本にいるこの調香師が、仮に世界のトップクラスのエヴァリュエーターと出会い、時間を掛けて(経験がないので当然そうなる)そのエヴァリュエーターが求めている香りをつくれたとすれば、ディオールの新作の調香師に起用されるということも夢ではないかもしれない。あり得ないような仮説ではあるが、こんなことでも起きてくれないと同じ日本人としては少し寂しい。こういうようなことが起きるかもしれないという気持ちで相変わらずブログを続けているのかもしれない。

幻の調香師(ロン・ウィネグラッド)


Arturo Gatti (April 15, 1972 ~ July 11, 2009)
 
昔、ボクシングにのめり込んだ時期がある。数多くの世界チャンピオンを指導してきたヘクター・ロカが、私の三人目にして最後のトレーナーだった。昨年非業の死を遂げてしまったが、ヘクター・ロカが心魂を注いで育て上げた元世界王者のアーツロ・ガッティもまだ駆け出しのプロ、無邪気な少年っぽさが残っていたことをよく覚えている。当時私の二人目のトレーナは、ジージョというヘクター・ロカと同じパナマ出身の小太りのオッサン、数年前に母国コロンビアでピストルで撃たれ死亡した元世界J・フェザー級王者アガピート・サンチェスがジージョの自慢のファイターだった。ある朝のことだ、いつも時間に遅れてやってくるジージョを待ちながら自主トレをしていると、ロカがミットを構えて近づきながら、『おい、ノビ、打ってこい」と言ってきた。その翌日ジムに行くと、「時間にルーズなジージョはお払い箱にしろ。今日からお前のトレーナーは俺だ。」と、ロカは言い、私がボクシングを止めるまでの三年間、毎日二時間一対一でトレーニングに付き合ってくれた。良い思い出なだけでなく貴重な体験だったと今でも彼に感謝している。並外れた才能を発掘しては、それを世界の頂点まで引き上げていくということを幾度も繰り返すことができる指導者というのは、たとえ人格者というものには程遠いにせよ、人間として一味も二味も違う魅力にあふれていることをつくづくと感じた。ズル賢かろうが、イヤラシかろうが、そういった諸々のことを差し引いても十分に余りある魅力を持っていた。前置きが長くなってしまったが、ボクシングを止めた直後に香水の世界に迷い込んだためだろう、香水の世界をボクシングに喩える傾向があることを勘弁してほしい。先週、香水に関わるある出来事がきっかけとなり、「恩師」ヘクター・ロカのことを思い出したのだ。

以前にこのブログにおいて述べたこともあるが、調香師養成機関の最高峰といわれるヴェルサイユのイジプカ(ISIPCA)を卒業し、運良くジボダン、フィルメニッヒ、あるいはインターナショナル・フレバー・アンド・フレグランスに入社できたとしても、すぐに調香師として仕事が始められるわけではない。イジプカでの教育は下準備程度のものであり、本当のトレーニングは香料会社に入ってから数年に渡って行われる。香料会社でのトレーニングを終えてようやく「ジュニア・パフューマー」という肩書きがもらえるのだから、調香師になるための道のりは険しくて長い。ボクシングに喩えるなら、イジプカを卒業した時点ではまだアマチュアのレベルであり、技術、精神力、体力すべての面で即戦力のある調香師には程遠い。では、真の調香師はどのようにして誕生するのだろうか。インターナショナル・フレバー・アンド・フレグランスの調香師養成学校は、歴史のあるジボダンの調香師養成学校と並び称されている。イジプカを卒業後このインターナショナル・フレバー・アンド・フレグランスの調香師養成学校を終了し、今後が期待される非常にガッツのある日本人若手女性調香師もいる。インターナショナル・フレバー・アンド・フレグランスの調香師養成学校の「校長先生」は、名調香師ジャン クロード・エレナとはジボダン時代からの親友であり、現役の調香師だった時代には、ドル箱ブランドとなったアルマーニとケンゾーのそれぞれの記念すべき最初の香水を手掛けている。ロン・ウィネグラッドというアメリカ人の調香師の名前は日本では全く知られていないだろうし、欧米でも香水業界においてしか知られていない名前だ。ロン・ウィネグラッドにどのようなことから指導者になったのかを尋ねたことがあるが、競争することに疲れてしまったのと、ものを教えるということに魅力を感じたからだと言っていた。ロン・ウィネグラッドは、父親がプロボクサーのマネージャーだったことから、幼少のころはボクサー達に子守りをしてもらっていたという変わった環境で育ってきた人物である。ウィネグラッドの厳しい指導方法が、インターナショナル・フレバー・アンド・フレグランス社内で論議になることもあるようだが、調香師という仕事が少数にしか与えられない天職だとすれば、2、3年の「猛特訓」に耐えられないようで調香師になる資格があろうのだろうかとも思う。世界的な企業の人材教育方針としてスパルタ教育がふさわしいのかという批判も理解はできるが、ウィネグラッド流の生徒を打ち砕いたところから教育が始まるという方法論によって育て上げられた若手調香師達が、卒業後一年目からインターナショナル・フレバー・アンド・フレグランスの売り上げにいかに大きな貢献をしているかという事実をみれば、ロン・ウィネグラッドの即戦力養成メソッドの威力を否定することはできない。

将来優れた調香師になるだろうと思い、数年前に私がインターナショナル・フレバー・アンド・フレグランスに推薦した若者がいた。調香師になる前提でインターナショナル・フレバー・アンド・フレグランス社に入社することができ、昨年から同社の調香師養成学校で勉強をしていたが、ロン・ウィネグラッドの指導の厳しさに耐えられなくなったのだろうか、卒業をすることのないまま先日インターナショナル・フレバー・アンド・フレグランス社から去っていった。『こいつは才能がある』と思った若者の体力と技量の将来性はある程度推し量ることができるが、精神力というものはなかなか見極めることが難しい。私の育った時代には、何かを極めようと思ったら、指導者から罵倒され屑のように扱われて初めてものを学べるものだと信じていた。ジボダン、フィルメニッヒ、インターナショナル・フレバー・アンド・フレグランスと言ったトップの香料企業において『調香師』を名乗るためには並外れた技量があるのは当たり前のこと、その上に同等の忍耐力と図太さが無くては生き残っていけない。学校で挫けてしまうようでは、実社会ではとても生き残っていけないということだ。

未来の調香師のスポットに一つ空席ができたわけだ。調香師になるのが夢なら、頑張ってこのスポットを埋めてみては?

melancholia

長男が生まれたばかりの頃だから、8年前の写真だ。

変なツーショット(スリーと言った方が正しいか)だが、中央に写っているのは、今やゲランの5代目調香師のティエリー・ワッサーだ。ゲイの彼にとり、子供を持つということは、全く考えられないという話を聞かされたことがあった。彼のどことなくぎこちない表情は、そのことを物語っているのだろうか。そういう自分も、どこか釈然としない面持ちだ。43歳にして、初めて父親になることの戸惑いだったのか…

昨年の暮れにつれあいが、ティエリー・ワッサーに託され、イディールとゲラン・オムをパリから持ち帰った。「ノビに、よろしくと言っていたわ。」 そう言えば、その少し前にも、あるジャーナリストからティエリーが宜しく言っていたと聞かされた。どちらにも、「あぁ、そう。」と言っただけだった。彼から贈られたイディールとゲラン・オムは、箱が開けられることのないまま何処かへ消えてしまった。

昨年は、自分の香水と調香師へ対する興味が著しく低下した一年だった。景気の悪化により、今まで隠れてしまっていた事がはっきりと見えてきたせいだろう。一言で片付けるなら、今後調香師の需要は、減少することはあっても増加することはないだろうし、給料の面では今までのような特別待遇もなくなり、一般職と同じようなレベルになってくるだろう。有名なファッションデザイナーに匹敵するような「スターパフューマー」が、いつか出現する時代が来るだろうと期待していたのだが、全くの幻想に過ぎなかったようだ。

今後もゲランは香水の王様で在り続けるのだろうが、所詮は香水、心地良い香りがすればそれで充分なもの。誰がそれを調香したかはどうでもよい。トヨタ・カローラが、トヨタ自動車株式会社内の誰によってデザインされたかを知る必要が無いのと同じようなことだ。しかも自動車と比べたら、香水なんていうのは全く重要性の無いものだから、スターパフューマー云々などとは戯けたことだろう。

何はともあれ、タイミング良くフィルメニッヒとおさらばでき、ティエリー・ワッサーというのは何とも幸運な奴だ。
 

5/5

May 5th is Boys’ Day in Japan, but I wanted to post about profound girls’ stuff this morning.

The new Chanel N°5 ad campaign which accompanies a film titled Train de Nuit starring actress Audrey Tautou started today. It’s just a commercial, but the film made me think of the difference between an iconic product and a masterpiece… and about something a bit more personal – irreconcilable cultural differences (my wife is French)!

五月五日は日本の子供の日。ここニューヨーク市では、市が制定した『シャネル No.5の日』ということになったとか。まさに資本主義の国ならではのこと。オドレイ・トトゥを起用したシャネル「No.5」の新しいフィルムと広告キャンペーンが、今日から始まった。

迷走

ベビーファット、バレンシアガ、カルバン・クライン、セルッティ、クロエ、ダビドフ、ジェニファー・ロペス、ジルサンダー、ジョープ!、カール・ラガーフェルド、ケネスコール、グウェン・ステファニー、マーク・ジェイコブス、ノーティカ、ファットファーム、サラ・ジェシカ・パーカー、ヴェラ・ウォン、ヴィヴィアン・ウエストウッド…

フランソワ・コティが1904年にパリで始めた香水のビジネスは、一世紀経った今日世界で最も多くの香水ブランドを抱える大企業に成長した。香水製造販売では世界最大であるコティ社の香水部門総括責任者は、キャサリン・ウォルシュという小柄な銀髪の女性だ。パリとニューヨークの間をエネルギッシュに行き来するウォルシュが、果たして香水のことをよく理解しているのかどうかという点については、今までにもいろいろなところから疑問の声上がってきた。絶対に成功しないと云われていた『セレブリティー香水』というジャンルを、巨大なヒットに導いた見事な腕前は、むしろ類い稀なマーケティングの才能によるものだろう。過去にビーピーアイ資生堂で大活躍したシャンタル・ロスや、クラランスの所有するティエリー・ミュグレーの歴史的傑作「エンジェル」を生み出したヴェラ・ストゥルビなどのように、真に香水産業を理解していた偉大な香水*プロデューサー*達とこのアメリカ人女性ウォルシュを一緒にすることは、先人達への冒涜となるような事態が数日前から持ち上がっている。

この「珍事」の片棒を担いでいるのは、トレンディーなゲイの男性が大好きなウォルシュと個人的に親しい調香師フランシス・クルクジャンだ。ことの内容はというと、現在コティが所有するカルバン・クラインの香水ブランドに於いて、ブランドの設立当初から長年に渡り企画の陣頭指揮を取り、業界では最も恐れられている独立コンサルタントのアン・ゴットリーブ(ユニリーバ・ジャパンのサイト上で誤った情報を記載しているので正しておくが、アンは香りの錬金術師であったとしても、実際に香りを創ることのできる調香師ではない)がお役御免となり、調香師であるフランシス・クルクジャンが今後のカルバン・クラインの香水企画のコンサルタントとして迎え入れられたというものだ。フランシス・クルクジャンが調香師として香りを作る側になるのではなく、やかましいクライアントが「ここは、こうしろ」だの「もっと、こんな感じにしてくれ」と言って、作り手を苛つかせるような注文をジボダンやフュルメニッヒのベテランの調香師につけるという、すでに充分無駄だらけで複雑怪奇だった香水制作のプロセスを、救いようのない程とんちんかんなものにする極めてナンセンスな話だ。

大手の香料会社は、ウォルシュの馬鹿げたアイデアにうんざりだという反応を示しているが、数年間に渡りフランシス・クルクジャンと顧問契約を交わしてきた高砂香料はどういう立場にいるのだろう。もしかしたら、高砂香料がフランシス・クルクジャンとの契約を更新しないという背景があり、彼がお金のかかる自分の新事業を維持するために苦し紛れに画策した小遣い稼ぎの手段なのかもしれない。

とにもかくにも、これは、持論である『香水産業は贅肉を削ぎ落とさなければサバイブできない』ということと正反対だ。セレブリティー香水のヒットは良かったが、景気の落ち込みとともにコティも首をすげ替えるべき時期なのだろう。

(もう一言:フランシス・クルクジャンは調香師としては傑出しているが、香水産業の将来を見極める才はゼロのようだ。コンサバティブなタイプの調香師だから仕方ないのか…)

閃き

「調香師たちを啓発するいい方法はないかしら。調香師たちに何か面白い講義でもしてくれる気はない?」

「冗談じゃない。人に何かを教えたり話をするのが大嫌いだから大学時代に教職単位も取らなかったわけだし、見えないものではあるけど、仮にも、ものを創るという姿勢であるべき連中にそんなことが必要だと感じるということは、おたくの会社も終わってるねぇ…」

最近、二、三度つれあいとの間でこのような会話があった。つれあいは、某社の30名以上いるファインフレグランスの調香師たちのボスである。彼等の給料やボーナスを決めることも仕事のうちだが、大きなプロジェクトの割り振りを決めたり、ライバル社から有能な調香師を引き抜いたりといったようなことも彼女の役割だ。お小遣いをあげたり、宿題の面倒をみたり、愚痴を聞いたりと、言わば調香師たちの母親のようなものだな、と、言って時々からかうことがある。子供の学校や塾での成績が悪いと母親が心配するのと同様に、調香師の仕事に閃くようなものがしばらく無いと心配するらしい。

「クライアントがくだらない仕事しか頼んでこないのだから仕方がないのじゃないかな。」と、いうようなつっけんどんなことを言った記憶もある。自己完結してしまうアーティストの仕事とは異なり、香水はクライアントとの協調関係で作品が出来上がるものだから、ロレアルやエスティーローダーが退屈なコンセプトの仕事を頼んでくる限りは、調香師がなかなか本領を発揮できないのも致し方のないことだ。素晴らしい施主と出会ったことがきっかけで世界的な名建築をデザインした建築家の例がいかに多いかという事実からもわかるように、作り手の才能を生かすも殺すもクライアント次第。キャバリエにしろ、グロスマンにしろ長年名作を生み出せないでいるのは、香水業界がアメリカ的な目先の収益しか考えられない体質になってしまったからだろう。アメリカが鉄屑みたいな車しか作れないようになってから数十年経つが、ロレアルやエスティーローダーが牛耳っている香水業界も同じ道を辿っているようだ。

極論であるが、今後はこれら大手の化粧品会社の生産する香水を作っていくに当たり調香師は必要がないと言っても過言ではない。すでにジボダンやフィルメニッヒのような大手香料会社には莫大な量のデーターがあり、この無限に蓄積されたデーターから機械的にクライアントの希望する香料の成分を出せるようになるはずだ。そうなった場合、もともと数の多くない調香師という職業の行く末はどうなるのだろう… この難問を切り開くのにこそ閃きが必要なはずだ。残念ながら、メナルドやクルクジャンのような才気溢れる調香師たちにもこの業界に新地を切り開くような才能は無さそうだ。こういった閃きは意外なところからやってくるのかもしれない。