昨日は、corrida de toros(bullfight、闘牛)について思いを巡らせました。動物愛護的な観点から批判の対象になっているのも事実ですが、近年スペイン全体として闘牛の人気が落ちているのは、それだけの理由ではないようです。その背景にあるのは、若者の間での闘牛への関心が薄れてきている事実があるということを聞きました。闘牛がスペインを象徴するような側面を考えると、私個人としては残念に思えてなりません。ピカソが大変な闘牛ファンであった事はよく知られていますが、その他の多くのアーティスト達をも魅了し、闘牛や闘牛士をテーマにした作品も数多く創られた事を考えると、闘牛はひとつの文化遺産であると言えそうです。

栄枯盛衰は世の習いと言いますが、ここ2、3年のファインフレグランス市場の動きを見ると、ここにもいづれ終焉が訪れるのではないかという寂しい思いにとらわれる事があります。その業績と才能から、ファインフレグランス(Fine Fragrance)の業界では、しばしばピカソのような存在として語られる調香師ソフィア・グロスマン(Sophia Grojsman)も、ファインフレグランスの今後については楽観的というよりは、むしろ悲観的な見方をしています。今回ここで、その原因として考えられる事柄について考えていくことはしませんが、ソフィア・グロスマンがファインフレグランスの未来として頻繁に挙げる二つの点を紹介することにします。

ひとつは、香水とかコロンによって香りを纏うよりも、石鹸やシャンプーで同様な効果を得る事の方が、今後の主流になっていくだろうということです。実際アメリカなどでは、香水の売り上げは頭打ちになっており、それに対し、特に若い人々の間でデオドラント商品の売り上げが上昇していることと相まって、ボディーウォッシュ用品の比重も市場で大きくなってきています。ソフィア・グロスマンは、石鹸類の香りだけでなく洗濯用洗剤の香りというものも、次第に香水とかコロンに取って代わっていくだろうと言っています。

もうひとつの点は、香水そのものに使う香料が、フレグランスからフレーバー(食品香料)に移行していくだろうということです。世界的に合成香料だけでなく天然香料も含めたものの、人体や自然に対する弊害が必要以上に危惧される傾向というのは、今後大きくなっていくだろうということに対し、食品香料はそもそも人の体の中に取り込まれるものである故にもともとの規制がずっと厳しく、人々の不安のレベルというのはずっと低いものだということをソフィア・グロスマンから頻繁に聞かされます。こういう事実とは直接に関係がなかったようですが、10年程前にIFF(International Flavors and Fragrances)ではなくフィルメニッヒ(Firmenich)に於いて「飲むことも可能な」香水が、カルバン・クライン(Calvin Klein)の香水の為に試験的に作られたりもしています。これがフレーバーだけで調香された香水であったことは間違いないでしょう。

そうは言うものの、ソフィア・グロスマンがこだわっているこの2点を踏まえて、ひとつ楽観的な気持ちにさせられる事があります。今後のファインフレグランスの展開というものは、伝統的な香水のイメージとは懸け離れたものに聞こえるかもしれませんが、これは日本の香料メーカーと調香師の未来には有利に働くものなのではないでしょうか。海外大手のフィルメニッヒとIFFの両社とも、トイレタリー部門において世界的な活躍をしているのは日本人調香師であると聞いています。理由は分かりませんが、実生活に密接な関わりのある分野での香りということに、日本人の鼻が力を発揮するのだと思っています。香水やコロンといった概念に捕らわれることなく、クリエイティブであり続けることの方が、業界自体にとってもずっと素晴らしいことなのだと思うと、むしろ今後の香料業界の展開が楽しみです。

Written by:

A sculptor living in New York

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